数日後。会社の帰り、わたしは再び先生のいるドーナツ屋へと向かった。
「先生、こんばんは。」
「ああ、こんばんは、アヤネさん。おや、どうしました?
あまり元気がないように見えますが。」
「そう、見えますか。」
「お仕事お忙しかったんですか?」
「いえ、仕事はいたっていつもと変わらないんですけど。
ただちょっと、自分って一体何なんだろうって急に思っちゃって。」
「おやおや、何かありましたか?」
「わたし、転職活動始めたって言いましたよね?それで昨日の夜、いろいろ整理しようと思って、自分の これまでの経験とか、これからやってみたいことをバーッと書き出してみたんです。
仕事に関係ないことも含めていろいろ。
でも書いてるとだんだん、なんていうか、
自分ってほんとに中途半端だなって思って落ち込んできて・・・。」
「中途半端、ですか?」
「わたしけっこう幅広くあれこれ手を出しているけど、例えば料理とかヨガとか英語とか、どれも中途半端なんです。」
「確か、高校の時は陶芸を熱心にやってましたよね。」
「あ、はい。美大に行きたいって思ったときもあったんですけど。
でも将来仕事にするにはむずかしいよな、って結局挫折しちゃって。
単に自分にやり抜くだけの情熱がないだけかもしれないですけどね。
今やってる仕事だってそうです。ウェブ広告関係の仕事で、けっしてやりがいがないわけではないんですが・・・。ただ、この先ずっとこの道でいくのかって考えるとちょっと。そこまでの情熱はないかもって。
結局、中途半端なんです、わたし。」
「情熱、ですか・・・。
すると、アヤネさんはご自分が何に対しても中途半端な情熱しか持てないことに、
落ち込んでしまっている訳ですか。」
「それは、よくわからないんですけど・・・。
ただ、わたし、自分には軸がない気がするんです。」
わたしには『軸』がない
「軸と、言うと・・・。」
「なんでしょう、『わたしはこうだ』みたいな感じって言ったらいいのかな。
『わたしはこれで行く』みたいなはっきりした核みたいなものというか・・・。
でもわたしはそれがなくって、ブレてて、それだから人の言うことにも、すごく影響されがちなんです。
転職にしたって、誰かの意見に結構左右されてしまうし。何か、その度に考えがすごく分散しちゃって、
そもそも転職したいのかって思うし。もっと言えば、転職より結婚したいのかもって思ったり。
それならほんとのところ、一体自分は何がしたいんだ、って。正直、頭の中がグチャグチャになってしまうんです。」
「まったく関心のないことには、影響すら受けないものですよ。考えがあちこちに分散しているということは、言い換えれば、アヤネさんがそれだけたくさんの可能性に心を開いているとも言えるんですよ。
そして、好奇心のエネルギーが自由に飛び回ってるということでもあるかもしれません。やりたいことは、いろいろあるんですよね。」
「いろんなことに、興味はあります。やりたいことも。でも・・・。」
「やりたいことがいろいろある、というのはすばらしいことだと私は思いますよ。
世の中には、自分が何に興味を持っているのか、それがわからない人もいますから。
やりたいことがたくさんあるというのは、それだけ人生の中に、
可能性と楽しみを発見することができているということでもあるのですから。」
「でも、それだと効率悪くないですか?
いろいろ手を出してみるけど、エネルギーが分散していると、結局は『わたしはこれができます』っていうものがないままで終わってしまう。それじゃただの器用貧乏になるしかないじゃないですか?」
「絞らなきゃ」の根っこにあるもの
「だから、やりたいことを『1つにしぼらなきゃ』と、『自分の軸』を見つけなきゃと思っているのですね。そして一つにしぼれない自分はダメだ、と。
でも、それはどうしてでしょうね?
それは、次のお仕事を決める上で、必要だからですか?」
「それもあるかもしれないですけど。
でも、なんと言うか、もっと根本的な感じがします。
つまり、やりたいことが分散しすぎていると、
自分がだれなのかが時々わかんなくなってくるんです。
自分がどんな人間か、というか、
それがぼやっとしてしまう気がするんです。」
「ぼやっと、ですか。」
「先生、まるちゃんって覚えてますか?」
「ええ、今陶芸作家としてがんばっているようですね。」
「ほんというと、わたし、あの子みたいに、これだっていうこと一つに打ち込む生き方っていうのに、憧れてるんです。
確かに、お金ことを考えたら、そんなに甘いものじゃないって思いますけど、
でもまるちゃんは確実に『軸』がある。
なにがあっても、『自分にはこれがある』って胸を張って言えるものがある。それがわたしにはないんです。
そう思うと、結局のところわたしなんて、中途半端で何も特技も、これと言った取り柄もなくって。
あー、わたしって結局『どこにでもいるただの人』なんだなって、そんな気持ちになっちゃうんです。」
先生は黙って聞いていた。
それから先生はゆっくりとおもむろに口を開き始めた。
だれとも違う「わたし」
「この場合、やりたいことを絞れないことよりも
『自分が何者か』が曖昧だということに、
アヤネさんは悩んでいるのではないですか。
さらに加えると他の人とは違う、はっきりと「差別化」できる自分、あるいは他の人と比べ「特別な」自分というものがない。
そんな自分を認めることができないのではないかな、とそんな風に感じました。
いかがでしょう。」
「いえ、でもわたし特別になりたいとか、すごく人と違っていたいとかそんなふうに思ってはいないですけど。ただ・・・。」
「ただ?」
「ただ、他の誰でもない『自分』って何だろうって。」
「アヤネさん、ドーナツいかがですか?」
先生はすっと立ち上がり店の奥へと消えた。それからしばらくして、湯気の立ったミルクコーヒーとドーナツを持って現れた。
「いかがですか?」
「これ、この間ドーナツと違う種類ですか?
なんとなくちょっとこないだとは味がちがっているような。どっちもおいしいですけど。」
普通に見えて、普通でないもの
「今アヤネさんにお出ししたのは、
こないだと同じプレーンドーナツですよ。
けれど、まったく同じというわけじゃありません。
実はね、今日はわたしの、亡くなった祖母の誕生日でね。
だから今日はこのドーナツを、特別に祖母のことを思ってつくったんですよ。
まあ、それは私にとっての「特別」で、他の人にはいつもと変わらないドーナツにすぎません。
でもね、どんな時も何一つ変わらないものなんて、ほんとうのところ存在しないんですよ。
誰にも「特別」のドーナツはあるんです。
一見ありふれた、いつもと変わらないドーナツも、味わう瞬間ごとに味も表情も変わります。
一見普通に見えるものも、実はそれ自体きわめて個性的なもんですよ。」
「普通であって普通じゃない、ですか。」
「そうですね。でもね、それはこうも言えますね。
私たちは特別であって、特別でない。」
「どういうことですか?」
「そうですね、まあ、このことをお話をすると、少し長くなってしまいますから、よかったらまたいらっしゃい。
そのときまたゆっくりお話しましょう。」
・ ・・・本日のドーナツ・・・・
「プレーン」に見せかけて実はプレーンではない「プレーンドーナツ」
たった1つの何の変哲もないドーナツ。
けれど、どこで、どんな風に、誰と一緒に、どんな気持ちで、そのドーナツを口にほおばるか。
その瞬間ごとに、その他大勢の1つにしかすぎないドーナツが、たった一つの『特別』な1つになるのかもしれません。