【プロローグ】 「今何してる?」と聞かれたとき、「まあそれなりに」としか答えられないそんな時

大きな街の小さな路地にある一軒のドーナツ屋。
12年ぶりに「先生」に再会した。
わたしは綾小路アヤネ。30歳。OL。

12年前、先生の担当する「倫理」の授業を受けていた高校生のわたしも、
今では30代に突入してしまった。

先生に会う

「それで、アヤネさんは今何を?」
「先生こそ、ここで何してるんですか?」
「見てのとおり、ドーナツ屋さんで働いていますよ。」
「働いてるって、ここ、先生のお店なんですか?」
「いえいえ、わたしはここでアルバイトしているんです。」

白いエプロンに、頭に三角巾を巻いた先生はそう言ってにっこり笑った。
閉店間際、こじんまりした店内にはわたしと先生以外誰もいない。
先生はその昔、わたしが高校を卒業する頃、ふっと学校から消えた。
海外に行ったらしいという話は聞いたけど、結局誰もその後先生がどうしているか、
分からなかったし、正直気にも留めなかった。
この12年、わたしも友だちも、それぞれの現実を生きるのにせいいっぱいだった。

「いつからここに?」
「ごく最近ですよ。それまで長いこと、机に向かって一人考えごとばかりしていることが多かったのでね、ちょっと違うことがしたくなって。特にね、人と接することがしたいと思ったんですよ。」
「で、ドーナツ屋でバイトなんですか?

だけど、先生だったらもっと別の仕事、あるんじゃないですか?
例えばもう一回先生やるとか。それは考えなかったんですか?」 
「今まで全くやったことのないことがしたくなったんです。

それに、こういう小さなお店で働くのは、けっこう面白いですよ。
ちょっとした人間観察もできるし、新しいことをすると、別の自分にひょっこり出会えるしね。」

「じゃあ、ずっとここで・・?」
「それはわかりません。ただ今は、ここでドーナツの生地をこね、やってくるお客さんたちと出会う、
それを楽しんでいますよ。」

「そうですか・・。」

「なんかいいですね、自由なかんじで。楽しそう。」

「アヤネさんは、どうなんですか?楽しいですか?」

「・・・まあ、それなりに・・・。そうですね、一応楽しいのかも。」
「一応、ですか。」
「そう、ですね。そう言われると、どうなんだろう。働いてお給料もらって、
時々友だちと遊びに行って、趣味でヨガやったり、料理習ってみたり、そういうことで言えば、 そこそこ楽しいっていえるかもしれません。
でも、なんて言うか、前みたいには楽しくないんです。少し物足りないっていうか・・。」
「物足りない、とは?」

なんとなく物足りない日々・・・

「なんとなく。就職したばかりの頃は、自分で働いたお金で一人暮らししたり、友だちと旅行したり、
遊んだりなんて、自由に好きなことができるっていうことがすごく楽しくて。
ちょっと誇らしい気もしたし。

でもだんだんと、そういう感覚が薄れてきた気がして。同じことしても、前ほどは楽しくないんです。」

先生は黙って聞いていた。店内にはわたしの声だけが響いている。

「実はわたし、転職しようと思って、最近活動始めたとこなんです。
といっても、今のところ、ネットで求人情報見てるだけなんですけど。

でも見れば見るほどなんだかへこんできちゃって。ああ、わたしほんと『ウリ』ないなって。」
「ウリ、ですか。ふむ・・・。」
「私なんか、ただ毎日仕事行って働いて、誰でもできるような仕事して、
また次の日会社行って同じように仕事して・・・。でもつまりはそれだけなんです。
転職するとか言ってるわりに、履歴書でアピールできるような特別なスキルも、誇れるような経験 も、取り柄もないし。ほんとにどこにでもいるただのOLなんです。」

正直、転職もだけど、就活ってあんまり好きじゃないんです。
昔、学生の頃の就活も、けっこうつらい感じでやってたんです。
本当の自分はそうじゃないのに、むりやり自分にトッピングして、よく見せてる感じがあって。
でもあの時はあのときなりに結構必死で。

でも、今になって思うと、あの頃は何もわかってなかったのかなって。
自分が本当は何がしたいのか、どんな仕事ならやりがいを感じられるか、なんて。
途中からはとにかく内定取らなきゃって、そっちの方で頭いっぱいになってたし。」

「わたしもそうでしたよ。始めから自分が何がやりたいか、はっきりしている人なんてそうは多くないのではないですか。
その時々の偶然の重なりで今がある、というケースが、実は世の中案外多いのかもしれませんよ。

それはそうと、今度はまた別のお仕事を考えているんですか?」

「それが、、。」

わたしは一瞬口ごもった。

ほんとは何がしたいだろう・・?

「本音言うと、自分が本当はなにがしたいか、はっきりわからないんです。」

転職するとか言ってるのに、絶対にこれがやりたいっていうのが、わからないんです。
何をすればもっと自分を活かせるんだろうとか、、
そもそも転職なんてしない方がいいのかとか。
やりがいのある仕事って言ったって現実にそんな仕事なんてなくって。
結局は、いくらでも代わりのいるような仕事しかつけなくって終わっちゃうんじゃないかって。」

「どこか焦っているように聞こえますね。」

「焦りますよ!だって30ですもん。転職するなら今のうちにしとかないと。
それに、やっぱり結婚とか子どもも欲しいし。
だから、ほんとは転職とか言ってる場合じゃなく、婚活した方がいいですよね。

やっぱり、女の人って結局、仕事でバリバリするより結婚して子ども産んで、家庭を大事にする方が、人生充実しますよね。」
「そうなんですか?」
「いや、言ってみただけで、ほんとはちゃんと仕事もしたいです。
でも正直わかんないんです。自分が本当はどうしたいのか。
考えれば考えるほどこんがらがってくるみたいで・・・・。」

わたしの言葉に先生は一つ一つ、考えこむように聞いていた。

そしてしばしの沈黙の後、先生が口を開いた。

「アヤネさん、ドーナツおひとつ、いかがですか?」

先生はそう言うとすすっと店の奥へひっこみ、ちょっとしてからトレーを手に現れた。
その上には淹れたてのコーヒーと、お皿にのった小振りのドーナツが1つ。

「なんの変哲もないプレーンドーナツですけどね。これが一番飽きなかったりします。」

わたしは無言で、ドーナツをほおばった。やさしい甘さが口のなかに広がる。

必死でさがしているからこそ

「ほんとはね、そんなに焦らなくても物事はけっこううまくいくんですよ。
そのことがだんだんとですが、わたしもわかってきました。
焦って近道を取ろうとして、却って道に迷って、時間がかかってしまったりね。

何事もタイミングというのがある気がします。
そしてタイミングが合うときというのは、自ずと物事がスムーズに流れていくんですよ。
不思議なことにね。

ただ、アヤネさんが焦るのもわかります。わたしもそうでしたから。
厳密に言えば、今でも少し焦っています。けれど同時に「待つ」ことの大切さも、以前よりは少し分かってきたような気もしています。」

「待つって、なんかむずかしいな。」

「アヤネさんが焦るのはね、自分の人生を一所懸命に生きようとする表れでもあるとも言えるんですよ。
自分にとって充実した人生を必死で探しているから、焦るんです。
しかも生きることはなにかと複雑で、毎日何かにつけ、ポツポツした粒がやってきて心にくっついてきます。

そんなことを繰り返していると、トッピングだらけになった心は、なんだかよくわからない物体になってしまいますよね。

一つ一つを解きほぐしていけば、問題は案外シンプルだったりします。
自分が本当に求めているもの、望んでいることは、そうしたトッピングに隠れた奥深いところにあるかもしれません。」
「わたしが、本当に求めているもの?」

先生はただ大きくうなずいた。
わたしはドーナツを完全に平らげ、一回すっと深く息を吐いた。

「あの、先生。しばらくの間、ここに来てお話させてもらってもいいですか?
なんだかわたし、最近自分のことがよく、わからなくなってて。
自分がほんとはどうしたいのか。もっと言えば、転職もだけど、
わたし、いろいろ変えたいんです。自分も、自分の人生も。
でも自分がどうしたいのか、それがわからないんです。」

「もちろんですよ。アヤネさんが必要なとき、いつでもいらっしゃい。
一緒にいろいろお話できるのは、わたしも、楽しいです。」
先生はにっこりと笑った。

わたしと先生の12年後の「授業」は、こうして始まった。

・・本日のドーナツ・・・
「プレーン」

ある意味ありきたりで何の変哲もない。どこか物足りなさも感じるプレーン。
一方で、シンプルゆえにドーナツの本質がはっきりとあらわれる。
ただその本質に気づくまでには少し時間がかかるかもしれません。

ABOUTこの記事をかいた人

吾郷智子 京都の高校で、社会科を教えていたものの、「わたしは世の中について何も知らない」と、教職を離れ人生の武者修行に。 ニューヨークに渡り、帰国後は複数の企業での勤務。あれこれ仕事を渡り歩き人生を模索していく中、ポジティブ心理学に出会い渡英。 イーストロンドン大学大学院にて応用ポジティブ心理学を学ぶ。 現在もポジティブ心理学を軸に「どうすれば、自分の心に正直に自由に充実して生きられるか?」を、こりもせず研究、模索している。 「どうすれば自由に充実して生きられるか?」と青い問いを抱えつつ、人事系を中心に複数の一般企業で勤務してみたり、起業したてベンチャー企業のお手伝いをちょこっとしてみたり、と現在は、ポジティブ心理学を引き続き研究しつつ、自分の青臭い問いの答えを文章表現などを通じて発信中。